お歯黒とは?成分や歴史について紹介します。

お歯黒

みなさんこんにちは。

今回は前回に引き続き、「お歯黒」についてご紹介します。

お歯黒とは

「お歯黒」とは明治初期まで長い歴史を経て主に女性の間で続いていた習慣のことです。
別名「鉄漿(かね)」「かね」「はぐろめ」「歯黒」「涅歯(でっし、ねっし)」とも呼ばれ化粧品の一種として使用されていたそうです。
時代の風俗によっては、歯を黒く染める鉄の溶液や、またそれを使用して歯を染めること、あるいは、染めた歯を示すこともあったそうです。

お歯黒ってくさいの?その成分とは

お歯黒の主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液です。
これを楊枝で歯に塗った後、五倍子粉(ふしこ)と呼ばれる、タンニンを多く含む粉を上塗りをしていきます。
それらの作業を交互に繰り返すと、鉄漿水の酢酸第一鉄がタンニン酸と結合し、非水溶性になると共に黒変する仕組みとなっていました。

お歯黒の効果

化粧品とはいうけれど、実際歯が真っ黒なのってなんだか怖いですよね。
なぜ昔の人は、歯を黒く塗っていたんでしょうか?

実は、長く続いた習慣には、それなりの理由がありました。
「お歯黒文化」はむし歯予防の見地からも有効であったと言われています。

1. 虫歯になりにくい
2. すでに虫歯の歯にお歯黒をすると、虫歯の進行を抑制する
3. 知覚を鈍化させる

こんな効果があったらしいんです。塚や墓から掘り起こされたお歯黒の歯にはむし歯がほとんどないと言われており、まだお歯黒の風習が残っていた大正時代の農村部では「お歯黒の女性に歯医者はいらない」とまで言われていたそうです。

お歯黒の歴史

お歯黒は平安時代には貴族階級の間で広く使用されることになり、男女ともに十七~十八歳で歯を黒く染めることが成人の証だったそうです。
時代とともに染めはじめる年齢が低くなり、室町時代には十三~十四歳に、戦国時代になると武将の娘は早く政略結婚させるために八歳で染めていたそうです。

江戸時代に入ると上流社会の生活様式がしだいに一般庶民にも浸透しはじめ、庶民に広がってからは、女性にとって人生の大転換期である婚約・結婚を迎えた際に染める風趣と変わり、既婚女性の象徴として使用されていたそうです。

お歯黒の歴史はいつまで続いた?

お歯黒の風習は、明治政府の近代化政策により、チョンマゲや帯刀とともに禁止となり、大正時代にはほぼ全国からその風習はなくなっています。

まとめ

「お歯黒」にはいろんな長く続いた理由があったんですね。

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